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2023-11-12

現在「PRコンサルタント」として企業のPR案件を請け負い、数々の結果を出している山田佳奈恵(やまだかなえ)さん。

メディア掲載は、なんと年間で100件以上という実績を持つ彼女ですが、数年前には月商が一桁になった時代もあったといいます。

会社員からフリーランスへ、そしてPRコンサルタントとして活躍されるまでの軌跡についてお話を伺いました。

両親と同じように「金融機関で働く人生」が幸せだと思っていた

 

中村:

起業される前は、農林漁業金融公庫(現︰株式会社日本政策金融公庫)にお勤めだったんですよね?

 

山田佳奈恵さん(以下、山田):

そうですね。

 

中村:

だいぶお堅めな…

 

山田:

私、両親が二人とも金融機関出身なんです。

だから学生の頃、将来を考えた時に「親と同じ道を歩むことが、自分にとって幸せなコースだろうな」とぼんやりと思っていて。

それで、就職活動では金融機関を一通り受けてたんですよね。

日本政策金融公庫の存在を知ったのは、就職活動を始めてからだったんですが、人事の方がすごく素敵な方で。

「ここで働きたいな」と思い、それが伝わって入社することができました。

 

入社1年目は、本店の金融部門の根幹のようなところで働いていました。

新卒社員ということで責任のある仕事はあまり担当することなく、今、鮮明に覚えているのは、多忙な男性社員に日々お菓子を買って配っていたこと。

お昼休みにランチがてら外に出て、安いお菓子を大量に買って13時までに急いで戻って、多忙な男性社員の皆さんが食べやすいように並べておいて…ということを月に一度やったりしてました。

 

中村:

めちゃくちゃ日本の古い会社の体質ですね。

 

山田:

そうなんですよ。

ついこの間も、とある企業の社長さんとの打ち合わせで「お茶くみとかしたことありますか?」って聞かれたんですけど、1年目はそういうことしかしてなかったですね(笑)

 

でもその時、上司にめちゃくちゃ恵まれたんです。

直属の上司が農林水産省から来ていた方だったんです。

当時、農水省は女性活躍に力を入れていたんですけど、私がいた公庫(日本政策金融公庫)はまだ制度が整っていなくて。

「公庫でも女性活躍に力を入れよう」という話になって、その上司から引き上げてもらえたんですよね。

 

2年目からは広報部門に異動して、いきなり毎号8万部以上発行している情報誌の副編集長を任されました。

そして全国各地の農業経営者をインタビューする「取材ライター」みたいなことをやらせてもらいました。

そこでいろんな経営者の方にお話を聞かせてもらったんですが、人生の先輩方のお話がめちゃくちゃ面白くて。

中には、奥様1人で会社を立ち上げて、農産物や加工食品を開発/販売している女性社長さんもいらっしゃったりして。

 

私の両親は職場結婚で、母は結婚を機に寿退社をしていて。

私は両親の働き方しか知らなかったから「そういう生き方が幸せなのかな」とぼんやり思っていたんですよね。

だから、女性でも自分で仕事を立ち上げている経営者さんや、取締役など会社の根幹を担っている方にお会いして「そういう生き方も素敵だな」って思ったんです。

このまま金融機関で働くのも面白いけど、こうやって活躍している人に話を聞きながら、自分の人生も模索できたらいいなと思うようになりました。

 

中村:

その後、農林公庫を辞められたのは、何故だったんですか?

 

山田:

あまりにも忙しくて体調を崩してしまったんです。

病院からは「鬱症状」と診断され、会社も1ヶ月お休みさせてもらって。結局そのまま退職しました。

 

職場の人に「頑張って」と送り出されるような辞め方じゃなくて、フェードアウトするように辞めてしまったんですよね。

そのあとは派遣社員で働いたり、小さな会社の見習いで雇ってもらったりという感じで…。

公庫にいた時は正社員でバリバリ働いて全国飛び回っていたのに、どんどん自分の立場が小さくなってしまった気がして、そこにずっと劣等感があったんですよね。

 

仕事も全部投げ出して、逃げるように会社辞めてしまったという思いがあったので、30代半ばまではそういうコンプレックスの塊のまま仕事をしていました。

 

 

劣等感を払拭するため、フリーランスの道へ

 

中村:

フリーランスになったのはいつ頃?

 

山田:

2012年に独立して、法人化したのが2014年ですね。

 

中村:

起業しようと思ったのは、何か具体的なきっかけはあったんでしょうか?

 

山田:

一番最後に働いていた会社が大手小売業の本社だったんですけど、そこでまた少しだけ、グループ企業のトップインタビューをして記事を書くお仕事をしていたんです。

その時に一緒に業務を担当していた方が、忙しすぎて自宅に仕事を持ち帰ってたんですね。

それを見て「こういうライターのような仕事って、パソコン一台あれば家でもカフェでもできるんだな」って。

 

私は朝がすごく苦手で、なおかつ両親の遺伝で貧血持ちだったので、満員電車に立って乗って会社に行くのも毎日辛いなって思いながら行ってたこともあって、家で仕事ができたらすごく理想だなって思ったんですよね。

当時すでに結婚もしてたので、もし私の収入がなくなっても夫の収入があるしなんとかなるかなという思いもあって。

 

あと、公庫を辞めてから自分のキャリアが尻すぼみになっていくのがすごく嫌だったので、「フリーランスになりました」って言ったらかっこいいかなって思った部分も、正直ありますね。

 

中村:

独立してすぐお仕事は順調に?

 

山田:

それがありがたいことに、割と最初から仕事はいただけたんです。

退職する少し前からアメブロをはじめて、「独立します」「こういう仕事をやっていきたいです」って書いてたら、問い合わせをくださった方がいて。

一番最初のお客さんは、ライターではなくてアメブロのデザインカスタマイズだったんです。

前職でフォトショップを使っていたので、自分のアメブロのヘッダーを作っていたので「同じようにやってほしい」という依頼でした。

そんな風にデザインの仕事をしたり、そのあとはライターの仕事も入ってきたりしてました。

 

中村:

わりと順調な走り出しだったんですね。

 

山田:

そうですね。

起業して2ヶ月目ぐらいには、何かしらの仕事はしていました。

でも、全然稼げてはいなかったし「稼ぎたい」っていう欲も当時はそんなになかったんですよね。

 

中村:

でも2014年には法人化されたんですよね。

なぜ早い段階で法人化を?

 

山田:

当時、お仕事でお付き合いのあった方から法人を立ち上げたいと相談されて。

その時に、知り合いの経営者の方が、「その友人の法人立ち上げを手伝ってあげるから、佳奈恵ちゃんも一緒にやっちゃおうよ」って。一人やるのも二人やるのも一緒だからって(笑)

法人化する時って「年商1千万円ぐらいになったら」とか、そういう目安ってあるじゃないですか。でも、まったくなくて(笑)

 

じゃあ実際に法人化したらマインドが変化したかと言われると、そうでもなく。

5年前ぐらいまでは、すごく稼いでいたわけでも組織的に働いてたわけでもないので「法人でやってます」って言うのがすごく嫌でしたね。

 

中村:

そこからどう変化されたんですか?

 

山田:

そのあと、当時稼いでいた収入と貯金を全部つぎ込んで、自己啓発系のセミナーに1年半ぐらい通ってたんです。

そこで出会った方たちの影響が大きいですね。

セミナーを受けて飛躍していく仲間たちを見て、自分もできるかもしれない。よし、じゃあやってみよう。って。

最近でもそうですけど、周りの人の影響を受けることが多いのかなって思います。

 

 

月商3万円に。このままじゃだめだ!

 

中村:

そこからPRの分野に進出するまでに何が?

 

山田:

2020年の始め、以前お付き合いのあった編集プロダクションの会社から中長期で大型の仕事の依頼を受けたんです。

体験型の取材ライティングを月に100本単位でお願いしたいという案件だったので、Twitterでライターさんを募集して仕事を振って…ってスキームを整え始めていたところ、新型コロナウイルスの影響で全部白紙になってしまったんです。

 

中村:

なんと…。

 

山田:

当時、対面のインタビューって全くできなかったじゃないですか。

事情が事情なので、どうしようもなかったんですけど、ライターさんたちにもひたすら謝って。

そのほかの取材案件も全部飛んでしまったので、4月には月商が3万円ぐらいに落ちちゃったんですよ。

 

中村:

そんなぁ…

 

山田:

その3万円っていうのも、当時サポートしていたお友達経営者からいただいた「なけなしのお仕事」で。

その友人の仕事量も半分になってしまって、それまでは7万円とか5万円とかいただいていたんだけど、3万円になってしまったんです。

でも0よりはいいから「3万円でもいいからやらせてください」ってお願いしていただいたお仕事だったんです。

 

結局4月から6月まで月商3万円前後の期間が続いて、「さすがにこれじゃだめだ!」と思い、お友達からのアドバイスもあって、古巣の日本政策金融公庫にコロナ融資を受けに行って100万円借りて。

そのお金で、いつかは通ってみたいと思っていたPR塾に通ったんです。

 

中村:

どうしてPR塾に?

 

山田:

実は売上が落ちていた当時、FacebookとかSNSを全然見ていなくて。というか、見れなかったんですよね。

というのも、当時、コロナの影響を受けながら、いち早くオンラインに切り替えた起業家さんたちが生き残った感があって。

私はずっと対面で取材をやっていて、オンラインの取材ができなかったから、その波に全然乗れなかったんですよね。

だから、活躍されている起業家さんの投稿を見るのが嫌でSNSから離れてしまっていたんです。

 

でもお客さんと連絡を取るために久し振りにFacebookを開いたら、たまたまPR塾の記事を見かけたんです。

オンライン化してもうすぐ2期が始まるって書いてあって「これだ!」と思って。

 

中村:

それは今まで広報をやってきたから、それを活かそうと思ってPR塾だ!って?

 

山田:

ずっとフリーライターとしてやって来て、雑誌の取材のライティングはすごく好きなんだけど、その一方でSEOに特化したWebライティングが私はあまり得意じゃなかったんですよね。

それと、フリーライターって正直あまり稼げる仕事ではないとも思っていて。

でも、ライティングのスキルがあればいろんな活躍の場があるってことは分かっていたし、このスキルは活かしたいという思いはあったんです。

 

だから、「PRだったら、プレスリリースを書くこともできる!」って。

自分で書けてメディアにアプローチできたら「自分の事業、立て直せるかもしれない」ってその時思って。

しかもPR塾のいくちゃん(笹木郁乃さん)って実績のある方だったから、ここに入れば私間違いないなって。

 

中村:

実際に立て直せたんですね。

 

山田:

ありがたいことに実績も積ませていただけて、自信もついたかなと思いますね。

今は、最初よりも規模の大きい会社のPRをやらせていただくことが増えました。

うちの会社はお客さまありきだし、お客さまから刺激を受けて成長させてもらっているなと本当に思います。

 

中村:

今は何社請け負ってるんですか?

 

山田:

法人のPR案件は常時4〜6社ですね。

あとは、BtoC向けにPRの講座をやっていて、今季は講座生が6人いらっしゃいます。

結構毎日いっぱいいっぱいですね(笑)

でも私、趣味でソフトテニスもやっていて。

 

中村:

忙しいのに!

 

山田:

ソフトテニス自体も楽しいんですけど、そこのクラブでは私が最年少なので、先輩方のいろんなお話を聞けるのがすごく勉強にもなるし、面白いんですよ。

 

中村:

人の話を聞くのが本当に好きなんですね。

 

山田:

そうですね。好きですね。

10人いたら10人違う人生、50人いたら50通りのバックグラウンドがあって、みんなそれぞれで面白いなあって思いますね。

私は本当に平凡な人生しか歩んできてないなって思うんですけど、いろんな方の人生を聞いていると、すごく面白いし、擬似体験させてもらってるような感じもありますね。

 

 

数千人の取材をした「ライターだからこその目線」で

 

中村:

PRコンサルタントをしていて、佳奈恵さんがやりがいとかワクワクとかを感じるタイミングってどんな時ですか?

 

山田:

私は元々「人」が好きで、これまで個人・法人あわせて数千人の取材を行なってきました。

その元ライターとしての目線で「この企業の魅力はこの角度で伝えられるといいな」と閃いたものがメディアの要望にマッチして、メディア取材につながって、そこからクライアント様の集客や売上拡大に繋がった時は、本当に嬉しい気持ちになります。

また、志の高い、素晴らしいビジョンやマインドを持っている経営者の方々と常日頃から仕事をご一緒させていただくことで、自分自身のアップデートにも事業拡大にも繋がっています。

この仕事は単純にメディアに露出することだけが役割ではないと思っているんです。

ブランディングやマーケティング、人材採用や育成、SNSやHP運用改善など、事業拡大を目指した組織改革の部分に関わることも多く、その分、求められる知識やスキルは結構多いのですが、比例してやりがいもとても多くて。

事業をやられている方で、売り上げが上がって嬉しくない人って基本いないと思うんです。

なので、クライアント様のお悩みを解決できるソリューションを、PR目線でピッタリご提案できた時はこの上ない喜びを感じます。

 

中村:

今、スタッフさんはいらっしゃるんですか?

 

山田:

先月、うちで働きたいって言ってくださった方がいらっしゃったので、即採用して今一緒にやってます。

あと、ホームページの制作も請け負っているので、その制作のスタッフさんがいらっしゃったり、他はスポットでお願いしていたりですね。

 

中村:

今後は増やしていきたいと考えていますか?

 

山田:

そうですね。PR関連であと1人か2人欲しいかなって思っていますね。

 

中村:

どんどん大きくなっていく途中って感じですね。

 

 

PR戦略をもっと強固に。そしてPRで独立する人を増やしたい。

 

山田:

余談なんですけど、私は昔から車が好きだったんです。

公庫でお茶汲みしている時代も、パソコンの待受をランドクルーザーとかにしてたんです。

公庫って、一般職の女性でも60才まで働く人が多かったんですね。

それですごく尊敬していた先輩社員の方から「ここで60歳まで働くと生涯賃金はこれくらいもらえるよ」とか教えてもらって、当時実家暮らしだったから「3年目ぐらいでランクル買えるかも」って思ったりしていたんです。

 

でも、結局キャリアは尻すぼみになってしまい、収入も減る一方。

法人化した頃は貯金も底をついて借金も抱えていたから、車も普通の車に乗ってたんですね。

 

普通の車が悪いわけじゃないんですけど、20代の頃からずっと「いい車に乗りたい」という願望があって。

それが、おかげさまで今年、車を買ったんです。

 

中村:

すごい!車種は何にしたんですか?

 

山田:

レクサスの一番小さいのなんですけどね。

ちょうど、おととい納車されました。

 

中村:

それ、月商3万円の自分に教えてあげたいですね。大丈夫だよって。

 

山田:

本当ですね(笑)

「3年後はレクサス乗ってるよ」って。言ってあげたいですね。

 

中村:

では最後に、佳奈恵さんが目指す未来について教えてください。

 

山田:

人材のことで言うと、優秀な人材を積極的に採用して、クライアントの要望にもっと応えられる企業になりたいです。

クライアント企業の事業拡大に直結するPR戦略をもっと強固なものにしたいなと思います。

 

また、「自分には特別なスキルはないけれど、頑張っている人や企業の応援はしたい」という方にPRというスキルをお渡しして、PRの仕事でフリーランスになったり独立・起業したりする人材を増やしたいとも思っています。

 

中村:

これからもご活躍楽しみにしています。

お忙しいところ、今日はありがとうございました!

 

 

定年まで働くつもりだった日本政策金融公庫を「逃げるように辞めてしまった」という思いから、ずっとご自身のキャリアに劣等感を抱いていた山田さん。

コロナ禍には月商3万円というどん底を味わいながらも「PR」と出会うことで、わずか3年で大躍進されました。

数千人もの方を取材したライターとしての経験を活かし、企業とメディアを繋ぎ、また「佳奈恵さんのように仕事がしたい」とPRコンサルタントを目指す方たちを育てている山田さん。

これからのご活躍がとても楽しみです。

PRコンサルタント

山田佳奈恵

1981年生まれ。
新卒で農林漁業金融公庫(現:株式会社日本政策金融公庫)に入庫し、取材を通して全国各地の女性経営者のリアルな声を引き出す楽しさを学ぶ。
2012年、30歳で個人事業主として独立。
2020年、一般社団法人PRプロフェッショナル協会認定のPRプロデューサーとなり、広報PR代行業務をはじめる。
千葉県にて夫と子供と暮らしている。趣味はソフトテニスとバレーボール観戦。

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