2023-09-23
こんにちは。アダムス睦子です。
先月に続き、今日も皆さんに「時間管理」についてお話していきたいと思います。
先月は、物心ついたときからそもそもペンを持つことを苦手としていた夫が、時間管理のツールの代表格、オーソドックスな管理アイテムである「ノート」や「手帳」を使いだしたいきさつのお話をしましたね。
夫と私は、時間管理のとらえ方や、乗りこなし方が異なるのですが、どちらが優位であるか、能率的であるかは関係ないと思っています。
時間管理というひとつの切り口でも、さまざまな在り方があり、正解や不正解はない。
それはちょうど、ケーキ1つとっても、イチゴが乗っているものが正統なケーキなのだとか、チョコレートクリームで出来ているものが本来の姿なのだと言っているのと同じで、どれもこれもケーキであることに変わらないのと同じことです。
でも、一方で、私たちは実は「イチゴが乗っているほうが優れているのだ」、「チョコレートクリームで出来ているほうが秀でているのだ」と対立して言いがちだったりもします。
私たち夫婦のように、身近にいる人と「時間管理に対する価値観」が異なる場合(または異なるか気にしたこともなかったけど、違うのかもしれない場合も)、どのように時間を共に楽しく過ごせるか。
対立に作用せず、具体的なすり合わせの一歩のコミュニケーションになるのか、今日はそのヒントになるお話をします。
さまざまなメソッドや有名なフレームワークも存在している「時間管理」ですが、私が毎月お話ししていく「時間管理」にまつわるお話は確立された体系にのっとったものではありませんので、今日のお話もひとつの参考・視点として読んでいただければと思っています。
パートナーとの「時間管理」に関するコミュニケーション
私が、「この人とは時間管理の考え方が違うのだな」 と夫に対して感じたのは、新婚の時でした。
わかりやすかった気づきの入口は「手帳」という紙の冊子を持たないということでした。もっと言うと、ペンも持たない。物理的に文房具として最低限持ち合わせているが、私のように使いやすい万年筆を買ったり、書きやすいボールペンをひたすら探求したり、色ペンを買ったりと、「書く」ことへの入り込み方が全く異なりました。
今から考えると、そこにかなり大きな違和感を抱いていたのですが、当時はそこまで突っ込んで聞く勇気も、それを言語化できる語彙力もありませんでした。
ここまでの15年以上の夫と私との歴史を細かく書くことはいつかの機会にするとしますが、「時間に対する使い道の割り当て方が異なる」ということは、つまりは家事や育児などの協同作業を行う際のパートナーコミュニケーションにも工夫が必要になってくるということが分かると思います。
どんな向き合いかたをすればいいの?ポイントは「未来志向」
では具体的にどんな工夫をすればよいのか。もっと固い言い方をすると、どんな努力をすればよいのか。以下にまとめてみました。
<<今年1年間のタスクを決める>>
今年はどこに旅行に行こうか、今年はどんな買い物をしようか、どんな出費が想定されるのか、など。
習いたいこと、行きたい講座などを洗い出しておく。どんな理由や背景でそれを望んでいるのかの好奇心部分や、目的などもパートナーと共有しておく。
ここでは具体的に必要になるモノ・金額などは決めずに抽象的な文脈のままとどめる。ここで必要なモノ・金額まで決めてしまうと、逆に縛りになり、情熱がしぼむ可能性も。
<<6ヶ月先までのおおよそのトピックを決める>>
仕事の繁忙期はいつか、出張はあるか、家族の予定はあるか、記念日や外出はあるか、など。
その場合いつまでにどんな手配や下準備が必要か、など具体的に必要になるモノ・金額などをおおよそ決めておく。例えば、リサーチにかかる時間はこれくらい、帰省に係る費用はこれくらい、家族への贈り物の予算はこれくらい、など。
<<1ヶ月以内までのおおよそのトピックを決める>>
直近の予定や、やらなければならないことなどをできるだけ細分化して洗い出す。
ここで<<今年1年のタスク>>の目的や、私たちは「何を達成したいと思っていたのだっけ」という箇所を見返す。
正解はないと思いますが、私の場合、このようなことを、1ヶ月に1度でよいので2人で2時間ほど時間を作って、どちらかが手帳やノートに書き留めながら話しています。
コミュニケーションには頭脳を使う。五感も使ってバランスを。
コミュニケーションで頭脳を使った後は、出来れば行きたかったお店にランチに行ったり、気になるカフェで美味しいおやつを一緒に食べる時間を設けると、頭を使ってイマジネーションを働かせていた未来志向の頭脳に、五感を満たす感覚が付いてきて、バランスが取れる気がします。
美味しいね、などと会話をすることでもコミュニケーション全体のバランスが取れますよね。
一方で、少し横滑りする話になりますが、上のようなことを話し合うとき、「意識的に自分の意見よりも相手の意見に耳を傾けたほうがよい」コンディションとして、「ちょっとした体調不良、病み上がり、アレルギー反応のあるとき(花粉症など)」があります。
これは私の体験からくるものなので、全くの私見なのですが、パートナーと何か頭脳を使って話をするときに、「わたしは今頭が冴えてなんでも考えられるのだ」という自己診断のときは、変に自分の想いや意見の正当性を、過大評価してしまう気がするのです。
それよりも、「わたしは鼻が詰まっていなくて、肩こりがない。体調万全、スッキリだ。」という自己診断のときの自分で在るとき、不思議なのですが建設的なの着地が出来るのです。
なんの診断士でもない私ですが、鼻が詰まっているときや、肩こりがあるときなどのようにちょっとした未病のときは、思考回路が正常でも、結果的に「未来につながるアウトプット」ができないのです。
あくまで体験ですのでロジックは不明ですが、理由が分かる方がいたら、ぜひ教えてください。
五感を使う話に戻ると、2人で映画に行くこともお勧めです。お金を払って大きなスクリーンで見なくても、Amazonプライムで見られるから、という人もいるでしょう。
けれども、映画は、臨場感ある音や奥行のあるスクリーンで感情を動かします。頭を使う前後に行くと、違う感覚を使うことで逆に充実した話ができますから、ぜひパートナーと行かれてもよいのではないでしょうか。
時間は止まってくれません。
こうして私がコラムを書いている間にも、一刻一刻が刻まれていきます。そしてその流れを管理しようとすればするほど、なにかに溺れてしまうような忙殺感があると思います。流れにうまく乗るために、いつもと違う動きをしてみるのも必要なことだと私が実感する理由です。
身近な人の力を借りたいとき、「時間管理について、ちょっと議論したいのですが。」と切り出すのも単刀直入ですが、一緒に気づけるような場創りや雰囲気創り、体験に身をゆだねて置くこと。これも「時間管理」ひとつでもあると思います。
今回のコラムはいかがでしたでしょうか。最後までお読みいただきありがとうございます。それではみなさん、また次月に!
時間管理アドバイザー
アダムス睦子