2023-03-28
現在は3児の母であり、ご自身もヘアメイクとして活躍している。
28歳で妊娠後、自身も認めるくらいの怒涛の忙しさを体験してきた30代をどうやって仕事と子育ての両立をしてきたのか。
自立した子供を育てる秘訣、人を育てるときに大切にしていること、仕事への向き合い方、
などについてインタビューさせていただきました。
ヘアメイクの仕事を始めたきっかけは何ですか?
赤星:もともとファッションのヘアメイクがすごくやりたかったんです。それで、「雑誌や広告のヘアメイクになろう!」ときめたのは高校生の時です。
でも最初は親に反対されました。親の世代は、美容に対してあまり良いイメージがなかったんです。短大を卒業してようやく「好きなことやってもいいよ。」という環境になりました。それから専門学校に行きつつヘアメイクの道に入った、というかんじです。
そして、20歳からヘアメイクの事務所に入りました。そこでは3ヶ月給料がなくて、4ヶ月目の給料が3万円で、1年後に10万円になりました。交通費も何もないです。今の時代だったら絶対に考えられないですね。
だから最初の1年は経済的にも親に助けてもらいながら過ごしていたんです。2年目からはようやく自分でヘアメイクが出来るようになってきて、自分で売り上げを立てられるようになってきたんです。それで給料を20万円くらいもらえるようになってきました。
朝も早く、夜も遅くて、撮影がメインだったから自分の時間なんてあるようでないようなかんじで、きびしかったんですけどね。
インタビューワー中村(以下、中村):仕事を始めた時の最初の給料が3万円て結構衝撃だったと思うんですけど、10万、20万と少しずつ上がっていったとはいえ、途中で「辞めたい」って思わなかったんですか?
赤星:「辞めたい」というよりも、「私、やっとなれた!」という感覚が大きかったですね。親にすごく反対されていたんですが、「1年は辞めないから」ということで母も応援してくれていたのもあって…だったらもう、頑張るしかないじゃないですか!
中村:そうですね。がんばるしかないですね。
赤星:ある仕事で朝4時くらいの集合があったんですね。始発でも間に合わないなと思っていたら、父が「送ってあげるよ」と言ってくれたんです。その時に「あ、理解してくれたかも」と初めて感じて、そこから「もう少し頑張ればもっと理解してくれるかも」と思えて頑張ってこれたんだと思います。そうして1年たつと仕事が出来るようになって、街中やテレビで私がやったお仕事の広告が流れるようになったんです。「このテレビCMは私がやったよ」「この撮影は私がやったよ」とか、父に報告すると「あ、そうか」と。
言葉は少ないんですけどなんか嬉しそうで。そういう流れから、今ではすごく応援してくれています。
「父に理解してもらうためにやりきる」って決めていたので、そんな風に喜んでくれたことがすごく嬉しかったです。
26歳の時に転機が訪れる
赤星:あるとき、事務所の方と考え方が合わなくなってきて、事務所を辞めることにしたんです。26歳だったので、「年齢的にもほかの職業に変えられるかな?」とも考えていました。
そんなとき、本当にありがたいことに色んな方から撮影などのオファーをいただいたんです。それで仕事がつながって、今うちの会社がメインとなっている結婚式場のお仕事を当時名古屋で独立してやっていた方に「一緒にやらないか?」と声をかけていただいたのが26歳のときでした。
婚礼って結婚式が決まっているから3、4か月くらい先まで仕事があるんですよね。だから、安定した収入をひとつ持っておくのはいいなと思ってやり始めたんです。撮影は依頼があれば収入が発生しますけど不規則なんですよね。それからは週末は結婚式、平日は撮影、というかんじでした。
でも、当初は私、結婚式なんか全然嫌いだったんです、、。
20歳のときに参列した友達の結婚式で、彼女のヘアメイクされた顔の印象があまりよくなかったんですよね。ただ顔を真っ白に塗られているかんじで…。
でも、ちょうどレストランウエディングが流行り出して、レストラン会場は素敵だし、ウエディングドレスも可愛いし、メイクもナチュラルで、「これならやりたい!」と思ってやり始めたのがきっかけだったんです。
その後、28歳で妊娠したので、人材を増やしたくてスタッフを4人体制で雇用しました。そして30歳で法人にして、32歳で浜松の方に、35歳で広島に拠点を増やして仕事をするようになりました。
それからは子供が3人いたので、育児とスタイリスト、社長の仕事で忙しい日々で、、はっきり言って30代は働きすぎでしたね。現在よりもっとたくさん出張にも行っていました。
中村:当時まだ子供は小さかったと思いますがどうしていたんですか?
赤星:主人がみていました。自営業なので比較的時間を自由に使えるんです。あとは私の両親、主人の両親が協力してくれました。ママ友も私の代わりに保育園のお迎えに行ったり、晩御飯を食べさせてくれたりしていました。そういった協力があってなんとか出来ていたんだと思います。
そんなかんじで忙しすぎたのもあって、一旦辞めたんです。
仕事がとても忙しくて、人を育成するのも疲れてしまって、、もう人と関わりたくないと思ったことがあったんです。「それなら物を売っていたほうが楽かもしれない」と思い、子供服の販売をやり始めました。男の子のフォーマル服の販売を8年やりました。
息子が結婚式へ行くときのフォーマル服を探していたら、韓国にかわいいのがあったんです。それを自分で作って販売したらが利幅が高いかもしれない、とひらめいたんです。
中村:すごくないですか!かわいいフォーマル服を着せたくて、韓国へ行ったら「これ作れるかも?」とひらめいて。問屋さんか何かに頼んだんですか?
赤星:私の友達がパタンナーをやっていたので、パターンをおこしてもらって、また別の友達が縫製工場をやっていたので試作品を作ってもらって、それを持って韓国に行きました。そうしたら、韓国の市場に行ったとき、たまたま日本語を話せる韓国人を紹介して貰えることになったんです。その方に電話をして私がやりたいことを伝えたら、一緒にやってくれることになって…!
なんか、全部が上手くいきました。やりたいなあと思ったら呼ばれるんです。
中村:それってどういうことなんでしょう?これはみんな知りたいと思います。大体の人はやりたいけど我慢したり、諦めることになったりすることあるじゃないいですか。環境や時間、お金の問題だったり。でも、なんで麻里さんはタイミングよく上手くいくんでしょうか?
赤星:私がラッキーを引き寄せるのは、たぶん止まらないことなんですよ。お金も時間も子供のことも、色々やることはあるんですけど、私のたった一回の人生、誰かのために止める必要なんて全くないと思っているんです。
中村:その物販も利益が出ていたんですよね?
赤星:そうですね。売り上げも年間3、4千万円くらいありましたね。
ずっと息子をモデルにしてやっていたんですが、息子が160の服をサイズアウトしたときに、160までしか作っていなかったので一気にやる気がなくなってしまって、、そこで終わりにしました。
まさに息子の成長記録です!
40代からは会社を広げていきたい思いが溢れ出す
赤星:40代になって私がもっと今の会社の経営に携わらなくちゃいけないなと思って、経営塾に入って、経営を学び始めたんです。
私は今年48歳になるんですけど、43歳の時に「会社をもっと広げよう」って決めたんです。なぜかというと、そのときから会社の幹部が安定し始めて、同業他社からマネージャークラスの友人がたくさんうちに転職してきたんです。なので今は同業の友達と一緒に働いていますね。
中村:すごいですね!なぜ他のところから突然そんなに集まって来たんですかね?
赤星:それぞれに色んな事情があると思うんですが、同業者・友人としての関わりの中からお互いの話をしている中で、「麻里さんと一緒にやりたい!」って言って来てくれました。だからほぼ私からは誘っていないんです。
中村:偶然いろんな出来事などが起きて「じゃあ一緒にやろうよ!」となったんですか?
赤星:そうですね。ウエディング業界にいた関わりのある人たちなので、私の性格や思いなどもわかっているのもあって来てくれたのかもしれません。
中村:それだけ信頼も厚いだろうし、人柄もわかっているというところで安心するんでしょうね。
赤星:だぶんそうなんだと思います。私が何を大切にして仕事をしているかを知ってくれているし、いつも忙しそうだけど楽しそうにやっている姿をみて、どうしたらそんな風にやれるのか知りたいというスタッフもいます。あとは「麻里さんの顔見ていると安心するから」と言われたりもしますね。
中村:仲いいですね。
赤星:はい、とても仲はいいですね。これをもっと広げていきたいんです。今は「会社を広げる」ことを絶対にやると決めています。
中村:「最後まで絶対にやりきる」という考え方は昔からですか?
赤星:そうですね。小さい頃から、何か習い事などを始めると長かったですね。姉について何となく始めたピアノは高校生までやりましたし、弟が喘息だったこともあって一緒にプールを習い始めたんですが、弟は途中で辞めたんですけど、私は全国大会まで行ってるんです。
中村:すごい!突き詰めるタイプですね。
赤星:そうみたいですね…!
自分の人生を楽しんでいたら勝手に子供が育っていた
赤星:私は子供の教育には必要以上に手をかけないんです。会社のスタッフに対してもそうなんですけど。「勉強しなさい」って一回も言ったことがなくて、「あなたの人生、好きなことやればいいよ」というように接しています。通知表も自分から見たことないんです。子供に「ママ見て!」と言われて見るというかんじです。
私が気をつけてきたのは、”食べ物を大切にすること”と、”夢を持つこと”だけなんですよ。夢を持つことで、子供が「将来が楽しみ」と思ってくれたらいいなと思います。だから「将来何になる?どうする?」と子供たちとよく話すので、結構自立しているんじゃないかと思います。
中村:それは子供3人ともですか?
赤星:3人ともです。みんな好きなものが明確ですね。それぞれに、もう、突き進んでいます!笑
この前中3の息子にこんなことを言われました。「俺が反抗期がないのは、反抗することがないからだね。」と。
中村:普段から制限されてないってことですね。
赤星:そうなんですよ。門限もないんです。制限していることは何もないですね。
中村:例えば「人の迷惑になることしないで。」というようなことも言わないんですか?
赤星:言わないですね。それはもう子供が分かっていると思うので。
中村:必要以上に言わないんですね。すごいなあ…。ついつい干渉したくなってしまいます…
赤星:なりますよね。だから、保育園の頃から自分で出来ることは自分でやらせるようにしています。例えば給食セットの準備なんかも、私が確認することなく年少の頃から自分でやっていました。時々忘れ物することもありましたけど、先生方にご協力いただきながらやっていました。
いちばん下の息子はサッカーをやっているんですが、帰りが遅くて夜に宿題が出来ないので、朝5:30に起きて勉強してます。こちらから何か言ったわけじゃないんですが、自分がおもいきりサッカーをやりたいから「宿題をいつやったらいいか?」を自分で考えたんだと思います。
中村:すごい、自立していますね。夢を持つこと、食べ物を大事にすること、これだけでこんな自立した子供になるんですか?
赤星:そうですね。あとは、私が仕事や誰かの文句を言わないです。「今日も疲れた」って言うと「仕事って疲れるもんなんだ」って思いますよね。「仕事って大変なものなんだ」って思われたら嫌だなと思うので「仕事は楽しいよ」と伝えています。会社のスタッフとご飯食べる時に、子供たちも一緒に来ることがあるんですけど、私がスタッフと楽しく喋っているのをみているので、仕事してるママ楽しそうだなと感じてくれてるんじゃないかと思うんです。
あとは、自立と言っても最初は出来ないこともあります。そんなときも別に怒ることはないので、子供は「ママに怒られたことない」と言っています。本当に怒る必要があるときは怒ってるんですけどね。笑
中村:じゃあ何か失敗しても深刻にならないし、あんまり責められたとも思わないんでしょうね。
赤星:そうみたいですね。あとは、私の態度が「誰に対しても変わらない」と子供は言っています。人によって態度を変える大人はたまにいますが、私はスタッフにも、親にも変わらないので、それがよかったのかもしれません。
中村:今までの生き方がそのままお子さんに伝わっている感じですね。
赤星:そうですね。だから楽しまないと!って思ってます。
中村:実際のびのび育ってますね。お話しを聞いていて、何かをしなければとか、何かが出来なけば、という概念が私の中でも崩れてきました…
赤星:私も100%完璧な人間じゃないですし、親って別に全て正しい訳じゃないじゃないですか。間違えたときには「それ違うよ」と教えてあげられるけど、自分もやってこなかったのに「なんで勉強しないの?」とは言えないですよね。
だったらにこやかに愛そうよって思ってます。そんな風に人間力が高ければ、人生が豊かな気がしているんです。私は別に頭いいわけではないですけど、色んなことの得意が集まって今経営者になって、みんなが来てくれているだけなんです。それってみんなのおかげでもあるんですよね。だから逆に私がみんなの得意を伸ばせればいいんじゃないかな、と思っていて。なんだか私がいちばん楽しんでいるかもしれないですね!
中村:自分の人生を楽しんでいたら、勝手に子供が育っていたかんじですね。
赤星:本当にそうです!子供たちとは友達みたいに仲良くしています。我が家はちょっとユニークな家の造りをしていて、子供たちの部屋はないんですね。なので、みんな自然とリビングで過ごすんですが、存在を感じながらそれぞれ何かをしていたり、お喋りしたりしています。
中村:子育てで意識しているのは、決めたらやる。好きなことをする。食べ物を大事にする。その3つくらいですか?
赤星:そうですね。あとは色々とうるさく言わないことですよね。とにかく「楽しく生きたらいいよ!」と思っています。だからなのか、自分で何でもやっていますね。子供たちにとって、もはや私は何にも出来ないママなんですよ。
会社の部下にもそうです。スタッフの強みを伸ばさないといけないので、スタッフの「この子の強みはこれがあるな」と思ったら、「私、これ得意じゃないから」と言って強みがかぶらないようにしています。私が出来たとしたらやり過ぎてしまい、スタッフが育たなくなってしまうからです。誤解を恐れずに言えば、ある特定の仕事は出来ないフリを時々しています。その方が子供もスタッフもどんどん自分でやるようになるんです。
会社を広げた先に見ている未来
中村:仕事を広げるって決めてから、どんどん人が増えているんですよね。
赤星:そうなんです。広げるって言ってから仕事が舞い込んで来るようになったんです。私が宣言してから紹介してくださる方が多いので、そこからお会いして、条件が合えば契約してお仕事に繋がっています。だから私は一度も営業をしたことがないんです。これはとてもありがたいですね。
中村:広がった先に、どうなりたい、とかあるんですか?
赤星:私が目指すところは、スタッフに「日本一楽しく働ける職場だ」と言ってもらえるくらいハッピーな会社にしたいです。みんなが認めてもらえるチャンスがあるといいなと思っています。あとは、技術を提供してお客様に満足いただくのは当たり前なので、クオリティを高く、センスよく、というところは常に目指していきたいですね。
美容は厳しいという見方がありますけど、労働時間や給与などの待遇をよくしていきたいんです。現在も平日は基本的に残業はないですし、完全週休2日制です。トレーニングは就業時間内で行っていますし、バースデー休暇なんかもあるんですよ。初任給は安いですが、技術やスキルが身につけばそれなりにお支払いしています。そこをしっかり渡せるように数字の管理をするのが私の仕事の一つでもありますね。
中村:「会社を広げる」ということをやりながら、自分の好きなことを突き詰めていっているんですね。
赤星:そうですね。家族との予定で私がお休みを取りたいときも、スタッフに「遠慮せずにどうぞ。」と言ってもらえる環境もありがたいですね。それは「私がやっていること」をわかってくれているから、「ここで休んでも、麻里さんは仕事をしてくれている」と思ってくれているからなんだと思います。
中村:とてもいいスタッフさんですね。
赤星:そうなんです。スタッフが可愛くてしょうがないです。一緒に働いていてとても楽しいです。
中村:それは何人増えても今の雰囲気を続けていたいですね。
赤星:そうですね。私自身、苦しかったときもありましたけど、今はみんなすごくいきいきと仕事してくれています。みんながうちの会社を「自慢です」と言ってくれるのが、すごく嬉しいです。あとは、親御さんやご兄弟の方が私のインスタをフォローしてくれていて、「麻里さんいいよね」と感じてくれているから、その環境で娘が働いていることはすごくいいのかなと思いますね。それは嬉しいですね。
中村:私が関わっている方たちって、割と自分のことを我慢したり、諦めている方が結構多いんですよ。そういう方たちに一言、メッセージをいただけますか?
赤星:「人生一回ですよ!」って言いたいです。だって、自分の人生、失敗するのも自分、やらないのも自分、成功するのも自分、いろんな自分があると思うんですけど、「とりあえずやればいいじゃないですか!」と私は思います。
中村:人生一回だからね。また生まれ変わったら同じ身体になれないからね。
赤星:ちょっと違うかもしれないけど、魂はゆきずりかもしれないけど、
「人生一回だから行くよね!」
「人生一回だからやるよね!」
私はそれが楽しいのかな。
中村:これからもすごいことが起こりそうですね!とても貴重なお話しを聞けました。ありがとうございました!
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