2024-01-10
金曜日の居酒屋で会社の愚痴を言っている人を0にしたい。
「人生の軸足をたくさん持つことで自分自身でキャリアを選べる!」という思いから、出版社にフルタイム勤務しながら「パラレルキャリア研究所」代表、一般社団法人「クロスオーバーキャリア」理事長を務める慶野 英里名さん。
希望の会社に入社したのに、なぜパラレルキャリアを始めたのか。
自分でビジネスを立ち上げて、すぐに数十万円の売上を得られるようになった秘訣は?
会社外で個人で活動していくにあたって、英里名さんはどう働き方を変えたのかインタビューさせていただきました。
今現在の活動:「パラレルキャリア研究所」とは?
インタビュアー鶴(以下鶴):
会社員をしながら「パラレルキャリア研究所」を立ち上げたとのことですが、どんな活動をされているんですか?
慶野 英里名さん(以下慶野):
パラレルキャリア研究所は2018年に立ち上げまして、パラレルキャリアという“複数の軸足を持つ新しい働き方・暮らし方”について情報発信をしています。
具体的には「パラキャリ酒場」という飲み会のような雰囲気で気軽にパラレルキャリアについて知見を増やせるトークイベントを提供していて、これまで100回以上開催してきました。
他には企業・自治体・学校でキャリアに関する講演や研修をしています。
また、パラレルキャリア研究所以外に2021年に京都芸術大学教授の本間正人さんと一般社団法人クロオーバーキャリアも立ち上げ、理事長をしています。
クロスオーバーキャリアは、パラレルキャリアの発展版。
パラレルは平行・同時という意味ですが平行だと線と線が交わらないので、もっと人生の構成要素を掛け合わせることでシナジーを生んで幸福度の追求や生産性の向上等を実現しようというものです。
そちらも情報発信を主にしています。
鶴:
英里名さんは、1人ではなく人と共にやる強みがあるように思いますが、その辺りは活動するときに意識されていますか。
慶野:
クロスオーバーキャリアを発信している身として、自分自身もその実践者でありたいなと思っています。
1人でやるよりいろんな人と対談したりコラボしたり、巻き込んだり、関わる人が増えることで自分の人生の「社会関係資本」が豊かになっていくと思っていまして。
私は、「無形資産」を増やすということを自分の人生で大切にしているので、なるべく新しい方と対談したりパネルディスカッションしたり、誰かと一緒にやり自分の幅を広げることを大事にしています。
(*社会関係資本とは、人との繋がり・信頼等、お金ではないけれど自分の財産になるもの。)
今の活動を始めたきっかけは
鶴:
出版社でフルタイム勤務をしながら活動されているとのことですが、活動を始めたきっかけはなんだったんですか。
慶野:
私がパラレルキャリアを始めたのは、新卒で就職した2013年の6月。入社2ヶ月目のまだ試用期間の時でした。
なぜ入社してすぐにパラレルキャリアを始めたかというと、編集者として文章を書く仕事がしたいと思って無事第一志望の編集社に入社したのに、編集以外のことをする事務的な部署に配属になりクリエイティブな仕事ができなかったからです。
「ここにいても文章を書く仕事ってできないんだな。」
「クリエイターになれないんだな。」と
感じてすごく苦しかったのですが、自力でもできることがあるんじゃないか、と考えて行動を開始しました。
当時付き合いのあったNPO法人代表の方が活動を記録した書籍を出したいというので、社会人2ヶ月で特に編集もできないのに、「私が編集しますよ」って言ったんです。
それで、帰りに「編集 未経験 方法」とか調べて(笑)
できるか分からなかったんですが、「やりたい!」と思って、そのまま無償で編集を始めたんです。
それを1年かけて自力で編集して、Kindleで出版したら、Amazonの海外旅行カテゴリで紙の本も含めた1位をとれたんです。合計3部門で1位になりました。
そうしたら、「慶野さんってライター・編集をやりたいんだ。」「文章をつくれる人なんだ。」という認知がSNSや周りの人に広まって、「うちの仕事もやりませんか。」というお話が来はじめたんですね。
そこで“あ、会社の外でも自分のキャリアは自分で作れるんだ”という気づきを得ました。
それが社会人2年目です。
ここでは、まだパラレルキャリア研究所は立ち上げていなくて。
私はライターをやりたいのか?をよく考えることにしたんですよ。
ちょうど同時期に、本業の方では部署が変わり編集者になれたので。
私本当に文章の仕事だけをしたいんだっけ。とか
ライターになりたいんだっけ。と考えて、
自分以外の人やものについて書くより、“自分の意見や思考で、世界をちょっとでも良くしたい”
というモチベーションが高いと気づいたんですね。
同じ時期に、電子書籍を出したNPO法人の説明会の司会を担当していました。
アドリブでの喋りもあるコメンテーターのような立ち位置の司会だったんですけど、「喋りが上手い」「コメントがいい」と言っていただく機会が多くて、そこで「あれ?文章が強みだと思っていたけれど、もしかして人前で喋ることが好きで得意なのかもしれない。」っていう自分の適性にも気づいてきたんです。
数年かけて、適性や関心を探しながら、本格的に自分のプロジェクトを立ち上げようと思ったときに、
①「自分のキャリアは自分で作れる」という確信
②「人前で喋るのが得意かもしれない」という適性に関する気づき
③「自分の意見を発信していくことで世界を良くしたい」というモチベーション
が見えてきました。
その3つを掛け合わせて、 “パラレルキャリアを世の中に広げる仕事をしよう!”と思ったんですね。
はじめた直後は講演のオファーなどは来ないので、まずできるところから小規模な講演会とかを開いていこうと思って、パラレルキャリアについて楽しく話せるトークイベントを自主開催しました。
それが「パラキャリ酒場」でした。
パラレルキャリア研究所という屋号もつけて、2018年から始動しました。
鶴:
自分の希望通りの環境ではなかった時に、どう考えどう動くかって大事ですね。「自分のキャリアは自分で作れる」というのは、どの立場の方にも必要な考え方だと思います。
会社をやめて独立ではなく、パラレルキャリアを選んだのはなぜですか?
慶野:
会社も会社で私は好きなんです。会社の魅力って、自分1人ではできない規模の仕事ができることだと思っているのと、自分が選んだ文章の仕事をこの編集部門でやり切る前にやめたくないなと思ったんですね。
あと本業の収入があるから副業の方で好きに活動できる魅力もありますね。
いきなり独立すると、稼ぐための仕事を優先しそうで。
私はもうちょっと自分が関わりたい人を増やしたり、自分の興味の幅をまだまだ広げたいなと思ったんです。本業を持ちながら副業で色々試してみたかった。
あともう1つ 私は安定を信じてないというか。ちょっと軌道に乗ったぐらいで安心できないタイプ。
大学時代に編集プロダクションに所属していて、大学卒業後はフリーランスとして働くつもりでした。ですが、プロダクションの社長が余名宣告をされて会社がなくなり、実績ゼロのまま社会に放り出される経験をして、就職活動をやり直して今の出版社に入ったんですね。
なので、「会社は突然潰れる」とか「今安定している足元が急に崩れることはある」というのは身に染みています。
うまくいってることを当たり前だと思わない精神性が身につきました。
実は、パラレルキャリア研究所を設立して1年位で、講演やイベントで月数十万円ほどコンスタントに売上がある月が続いた時期がありました。
ですが、その好調が続くかも分からないので、複数の軸足を持ちながらリスク分散して活動を続けていこうと思いまして、会社は辞めなかったんですね。
そしたらちょうど新型コロナウイルスがやってきたんですよ。
ようやく軌道に乗ってきたのに、イベントは全部中止で、提携していた会場も休止してしまいました。
当時はイベントや研修といえばリアル開催だったので、コロナで緊急事態宣言が出た直後は、パラレルキャリア研究所の方が仕事はゼロになったんですね。
ですが、本業があるから焦りませんでした。
「いつ何が起こるか分からないから複数の軸足を持っていよう」という生存戦略をとっていたおかげです。
外出自粛を契機に、オンラインでの講演や研修をスタートさせました。
それ以外にもオンラインでコミュニティマネージャー、スポットコンサルティングの仕事を請け負うという新しい展開も出てきたので、結果的には仕事の幅を広げることができました。
活動1年で月数十万安定できた理由
鶴:
1年位で月数十万の売上が上がったとのことですが、どのように活動を軌道に乗せていったのでしょうか。
慶野:
軌道に乗るまでがスムーズだった要因は2つあるかなと思っています。
パラレルキャリア研究所を立ち上げた2018年の前の5年間で、「無形資産」を貯めていたんですね。
ジャズコンサートやキャリア系の勉強会などのイベントを主催したり、2つのNPOでプロボノも5年ほどやっていました。
(*プロボノ:自分が出来ることで誰かの力に無償でなる社会貢献活動)
無償の活動を続ける中で、イベント運営のノウハウや、パラレルキャリアの実践者や希望者の繋がりが着実に増えていきました。
鶴:
その方々との出逢い方は、そういう発信をしている人にSNSでコンタクトを取ったり、会いに行ったりイベントに参加する形で繋がっていったんですか。
慶野:
そうですね誰かのイベントに参加したこともありますし、
自分が何か看板を掲げて活動していると、自然と似たような人・同じ関心の人との輪が自然と広がっていきました。
当時繋がった人達と何かやりたいなと思っていて、SNSでは皆さんと繋がるようにしていたので、立ち上げ時点でイベントに興味を持ってくださる方、出演や協力をしてくださる方には恵まれました。
そのような人とのつながりを「人脈」と呼ぶと生々しくて嫌だという方もいますが、紹介してもらった人や仕事より、自分が報酬を得ずに紹介した人や仕事の方が多かったので、 ご縁が広がっていくことを健全で前向きに捉えていましたね。
鶴:
すごい!自分のサービスに適した「人脈」を活動前から広げていたんですね!
集客だけでは上手く行かない!人を惹きつけるコンテンツとは?
鶴:
ただ、人脈は作ったけど売れないという方もいると思うのですが、そこから集客に繋げるコツはありますか?
慶野:
集客のコツについて聞かれることは多いのですが、大事なのは集客方法ではなくコンテンツの中身だと思っています。
今はチケット販売サイトやSNSなど多様なツールがあって、マーケティングのノウハウも検索すれば出てきます。
でも、重要なのはコンテンツが魅力的でクオリティが高いかどうか。
誰でも作れるものを立ち上げて集客だけ頑張っても、うまくいかないかなと思います。
「お客さんを集める」ではなくて、あくまで「誰かの役に立ちたい」という気持ちで、提供できる価値の向上に取り組んだ結果、必要とする方が集まるのだと思います。
私でいうと、自分自身がパラレルキャリアの実践を5年以上していて、その中で複業・プロボノの実例や皆さんが悩んでいるポイントが、鮮明に見えてきたんですね。
自分自身が実践して、生の情報を日々集めてきた土壌があったからこそ、参加者の課題にクリティカルに応えるイベントが作れたのかなと自分では思っています。
鶴:
なるほど。魅力的でクオリティが高いコンテンツというのは、自分のサービスを必要とする方の、悩みや不安・知りたいことを解像度を高く言語化して、サービスに反映できているものということでしょうか。
慶野:
そうですね、はい。スモールビジネスをやりたい方やフリーランスの方にとって、ペルソナの設定をするより、1人のクライアントの悩みと徹底的に向き合うことが大事だと思うんですね。
ペルソナって、会社で複数のメンバーやクライアントさんがいて、意識をすり合わせるために「こういう人がターゲットだよね」と定義する工程だと捉えています。
高層ビルの会議室から街を望遠レンズで覗いて、ターゲットを見つけてピントを合わせるようなイメージかなと。
高いビルの上から望遠レンズ越しに「ターゲット発見、おそらくこう悩んでるよね、こんなサービスを欲してそうだね」って想定するんじゃなくて、街に繰り出してその人と膝を突き合わせて話し合える機動力の高さが、個人でビジネスをする強みだと思います。
私の場合はまず、「過去の自分自身」がパラキャリ酒場のコンテンツを届けたい人でした。
自分自身が悩んできたこと、例えば
- 自分の得意分野ってどう見つけるんだろう。
- 最初の1万円ってどうやって稼ぐんだろう。
みたいなパラレルキャリアをやる上でのつまづきポイントを、リアルな悩みとして感じてきたので、その課題を解決する企画を立てました。
イベント開催時は、ご参加の方が何に悩んでいるのかを一生懸命聞いたんですね。
そうすると、パラレルキャリアを始めたい人ってこんなことで悩んでいるんじゃないかな?という机上の空論ではなくて、実際の悩みが山ほど集まってきました。
なので、市場分析というよりは、対面で体感することが大事かなって思います。
鶴:
その人の本質的な悩みをいかにキャッチしてサービスに反映させるか。ですね。
慶野:
そうですね。そこでさらに大事なのが、その活動を通じて誰かの人生を本気でよくしたいって思える情熱を持てるかどうかだと思うんですね。
私の場合は、“金曜日の居酒屋で会社の愚痴を言っている人を0にしたいな”って思ったんですよ。
会社員だけやっていると、会社に人生全てを預けているような錯覚に陥って、「会社への不満=人生の不満」になって愚痴が多くなってしまうと思うんですね。
でも、パラレルキャリアで人生の軸足をたくさん持つことで自分自身で選べることが増えたら、「会社で働いていることも自分で選んだ人生の構成要素」だって思えて、精神衛生が良くなると思うんです。
パラレルキャリアを世に広めることで前向きに働ける人を多くしたい、と情熱を持てる自分に気づき、「あ、これだな」って思いました。
情熱や本気の気持ちを持てない仕事って、他に取って変わられてしまう可能性もあると思うんですね。
今後AIに置き換えられる可能性もあるので。
個人で働く人が生き残るためには「情熱」が、必須かなと思っています。
鶴:
確かに、情熱がないとそもそも継続的に活動していくのも難しいですし、「情熱」って伝わりますよね。受け手にも。
しなやかに結果に繋がる「決めすぎない」目標の立て方
鶴:
かなり順調で楽しそうだなと思うのですが、英里名さんは活動されていて、上手く行かない!と悩んだり大変だったことはありましたか。
慶野:
正直特になかったんですが、、それは
明確な目標を細かく決めなかったからかもしれません。
私の場合は、「パラレルキャリアという働き方を発信する。」と「自主開催イベントは100回やる。」の2つの方針だけを決めてそこまでの道のりは細かく決めないっていう戦略でしたね。
今はVUCA(ブーカ:先行きが不透明で、将来の予測が困難な状態)の時代と言われていて、働き方を取り巻く状況もどう変化してもおかしくないので、計画を立てすぎないようにしようと思ったんですよ。
せっかく個人でやっていますし、その時々の気持ちや状況で自由に軌道修正できるように、柔軟に構えておきました。
初期は規模拡大のためにイベント回数や売上のアップを目指しましたが、軌道に乗ってからはマイペースに活動しています。
初期投資や固定費も極力削り、売上目標も立てていません。
なので、理想とのギャップや、金銭面の苦労などもなく、悩みが生じにくかったです。
複数の仕事や家庭を両立するために、ストレスを溜めないことを優先して、持続可能にしました。
あと、目標を決めなかったのは、数年後の自分の人生が決まっているのってちょっとつまんないなと思ったんです。
自分が想像もしていなかった面白い可能性をこの数年で探したいなと思って。
鶴:
なるほど。数年後の自分が決まっているのがつまらないって面白いですね。
きちんと目標を立てて逆算しよう!という考えもありますが、「決めすぎない」というのも良いですね。
慶野:
決めすぎない分、逆に気をつけていたのが「常にブラッシュアップする」ってことですね。
毎回いろんな人が来て、見えるものがあるので、改善点を即座に次のイベントに活かすようにしました。
ご参加の方から「もっとここが聞きたい」「もっとこういう方が参加しやすい」「ここが良かった」という声を聞いたら反映して、良いところはもっと伸ばすというのを意識していました。
鶴:
目標を決める。というより、来てくださった参加者さんの声にフォーカスして、小さな改善を続けていった結果、売上も上がって、様々な企業や学校から依頼やオファーが来るようになったんですね。
活動をしてきて良かったこと
鶴:
現在の活動をしてきて良かったな。ということはなんですか。
慶野:
そうですね5年間やってみて、本気の「ありがとう」を言われる回数がめちゃくちゃ増えたんですよ。
パラレルキャリアっていう新しい概念を紹介することで、「本当に人生が変わりました」って言ってくれる人がすごく増えて、「ありがとう」って年100回位言われるようになったんですね。
実際に、「副業を始めました!」とか、「独立した」とか「起業しちゃいました」という人もいたり、副業はしなかったけど様々な可能性を検討したことで、今の会社へのモチベーションが上がりました。という人もいました。
関わった人の人生が好転していく様をリアルタイムで目撃して、その背中をちょっとでも押すことができたことは、誇りに思っています。
また、「自分には特別なスキルはないけれど、頑張っている人や企業の応援はしたい」という方にPRというスキルをお渡しして、PRの仕事でフリーランスになったり独立・起業したりする人材を増やしたいとも思っています。
鶴:
人が好転して行って、「ありがとう」って言ってもらえるのは、最高ですよね。
今後の展望は?
鶴:
目標を決めすぎないとおっしゃっていましたが、これからも決めずに行くイメージですか。
慶野:
そうですね。具体的な目標はあえて設定していないんですが、続けたいのは日々自分の活動とか関心をSNSとかnoteで発信することですね。
今現在、自分から営業はしていないんです。
人の紹介やSNSを中心に依頼をいただいています。
SNS、イベント、メディア取材や出演などで発信をする中で、私の活動や思いに共感してくれた方からご連絡をいただくことが多いです。
今後も、思ってもいないような人とか業界と関わるチャンスが向こうから飛び込んでくるように、日々情報発信は怠らないようにしていきたいなと。
なので、これからの目標は、今は想像もしていない面白い機会に出会うことですね。
キャリアに関する仕事をしていると、上昇思考が強いと思われるんですけど、私は「誰かが決めた上」に行きたいわけじゃなくて、自分がその時に一番いいなと思う仕事・人・場所と関われる自分でいたいんです。
可動性が高まるキャリアを目指したいので、上昇志向ではなく「可動性思考」と私は呼んでいます。
人生の可動域を広くしていくっていうのも目標ですね。
今、企業の平均寿命が23.3年と言われていて、1つの会社で昇給を目指せば幸せになれる時代は終わりつつあります。
誰かが決めた正解に着いていっても、自分の幸福を実現できない社会になっている。
自分で決めて自分でデザインするのが人生の醍醐味だと思うんですけど、これまでの日本では働き方のロールモデルが強固にありすぎて、そこに従うのが当たり前だったんですよね。
だから、このVUCAの時代を私はポジティブに捉えています。人によっては先が見えず不安な人もいると思うんですけど、人生の可動域を自分で広げられる社会は、自由度が高くいい社会だと思います。
せっかくだから私もその先行きの見えなさを楽しみたいですし、同じく楽しめる人を増やしたいなと思っています。
鶴:
今現在、発信することでオファーが来る状態を作れているのは、まさに、無形資産が溜まっている状態なんですね。すごいです。
先行きの見えなさを楽しむ!というのも素敵ですね。
最後に、読んでくださっている方へのメッセージはありますか?
読者の方へのメッセージ
慶野:
フリーランスの方にとっても、パラレルキャリアっていうキーワードは有効になってくると思います。
独立しても、例えば1社としかお付き合いがないと、交渉もしにくいですよね。複数の仕事先や複数の武器がある状態で、主体的に選択できるという状況が自由な生き方を支えてくれると思います。
人生あれもこれもは手に入れられないですけど、自分の選んだ複数の軸足があることでうまくリスク分散できます。そしてリスク分散しているからこそ、次にやりたいことへ挑戦しやすくなると思うんですね。
自分の人生は自分でデザインする覚悟を持つことが、これからの時代を生き抜くポイントだと思います。
誰かが正解を教えてくれるわけではない。自分で選んだことを試行錯誤しながら進んでいくしかない。
そして、選ぶ時に、「自分にとって幸せな方はどっちか」という視点を持てるといいと思うんですね。
条件を達成する事にとらわれると、逆に自分を苦しめることもあります。
私にとって幸せとは〇〇である。だからこの目標をクリアすべきだ!みたいな。
いざ達成してみると、人からは褒められても意外と満たされなかったりして。
条件達成を幸せの条件としてしまうと、瞬間瞬間に感じる素直な気持ちに気づけなくなりがちです。
だから、幸せの物差しじゃなくて、幸せのリトマス紙みたいな、数値化できない感覚を捉える意識を持つといいと思います。
微細な幸福感を捉える感性をいつも研ぎ澄ませておく。そうすることで、大事な局面で自分が幸福になる決断ができると思うんですね。
「あ、ちょっと今幸せのリトマスス紙が赤よりになったな」とか 「青よりになったな」という微妙な変化を感じとってその気持ちに素直に人生の決断をしていくというのが、幸せになるために必要なことかなと思います。
鶴:
自分にとっての幸せに敏感になり、人生の決断をしていくと、幸せな人生に向かっていけるということですね。
自分でビジネスをされている方々にも大切なことだなと思いました。
英里名さんのお話を聞かせてもらったことで、多くの人が「こういう働き方もあるんだ」「キャリアって自分で作れるんだ!」と、気づいてもらうきっかけになれば嬉しいなと思います。
英里名さんのパラレルキャリアの想いや、個人で仕事をしていく上での大切なこと等を発信しているnoteもご紹介させていただきますので、気になる方は是非登録してみてください。
本日は貴重なお話しありがとうございました!
パラレルキャリア研究所 HP https://parakyari.com/
慶野英里名さんの発信 note https://note.com/keinoerina
撮影:遠藤素子
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