2022-03-24
ご長男のアレルギーを機に、アレルギーフリー食を極める中で、ご自身の体調や美容にも良い変化が。
ご自身のその経験を活かし、もっと多くの方にアレルギーフリー食を知ってもらい、楽しんでもらいたいと、今も活躍の場を広げ続けています。
そんな野田さんにインタビューさせていただきました。
すでにW habitのインストラクターとしても活動され、常に新しいことへと挑戦し、今では食の専門家から、美を追求するモデルとしても活躍し、輝いた毎日を送っている野田真実さん。
改めて、その輝き続ける秘訣についてお伺いしてみました。
まずは、現在のお仕事について教えてください。
野田真実さん(以下、野田):
アレルギーフリー食研究家、細胞美人食研究家として活動しています。
昨年ミセスユニバースジャパン準グランプリ、その後の世界大会3位をいただき昨年の年末から、モデルの仕事や、美しくなる食事について伝えるために新しいステージに挑戦しています。
中村:
複数のお仕事をされているんですよね。
アレルギーフリー食研究家、細胞美人食研究家の他にもビューティーキャンプのインストラクターやライバーとしても活躍されているんですよね?
野田:
料理研究家としてライブ配信を始めたのですが、最近はモデルの方のお仕事としても楽しんで配信しています。
長男のアレルギーをきっかけに食の専門家として独立
中村:
独立したきっかけは、お子さまのアレルギーだったそうですがその頃のお話を聞かせてください。
野田:
子供がアレルギーを発症したのをきっかけにアレルギーフリー食の勉強を始めました。
子供に美味しいお料理を作ってあげたいところからスタートして、同じ思いのお母さんたちがいらしゃることを知って独立しました。
中村:
それはいつ頃ですか?
野田:
2017年です。
中村:
その時はお子様は何歳だったんですか?
野田:
3歳ですね。アレルギーを発症したのは生後4ヶ月の頃なんです。
私が卵を食べていたんですよね。それが洋服にもアレルゲンてついているそうで、そういうことも関係している可能性があるようなのですが、はっきりとは原因がわからないんです。
中村:
当時は今より、アレルギーに対する知識が一般的に浸透していなかった時ですよね?
野田:
勉強するところもなかったですし、アレルギー食のレシピは、ネットで検索すればありましたけど、色も地味で、美味しいものではなかったです。
中村:
どうせ食べるなら、美味しいものを作りたいというところからスタートしたんですか?
野田:
他のお子さんが、アンパンマンのパッケージだったり、カラフルでかわいいものを食べているのに、うちの子だけ茶色い石みたいなクッキーだったので、せめてカラフルにしてあげたいなというところから、アレルギー対応の、卵・乳製品・小麦を使わないお菓子を作り始めました。
アレルギー対応食。ぶっちゃけ大変じゃなかったですか?
野田:
1歳くらいまでは、何も買えないから自分で作るしかなかったんです。
ただ、続けているとおうちの中の生活だと、自分で作れるようになってくるから、そこまで負担ではなくなりました。
ただ、外食が大変でした。
学校にいくだけでもみんなとは別に持参をしたり、旅行や外食も電話していちいち確認をしたりしていました。
中村:
今でこそ、ファミレスでも、何が使われているか書いてありますが、当時はなかったですよね。
前から思っていたんですが、あんまり落ち込んでる印象がないんですよね。笑
ネガティブな要素よりも、どうやったら食べれるかな?どうやったら可愛くなるかな?というポジティブな思考が強いのかなと思っているのですが。
野田:
発症した当時は落ち込みました。でも、落ち込んでいてもしょうがないなと思って、どうせ食べさせるなら、どうにかして満足させてあげたいという力の方が強かったんだと思います。
自分の中でいろんな新しい発見もあったんです。
お料理の仕方や、新しい食材とも出会えるようになったんで、楽しみながらやってたのかもしれないですね。
中村:
以前、野菜のビーツでピンクっぽく色をつけられるものを紹介してくださいましたよね。
野田:
着色料を使いたくなかったので、どうしたらいいかな?って考えて、野菜のパウダーを見つけたり面白いんですよね。せっかくなら安心して食べさせてあげたいですし。
中村:
小麦がダメなら米粉って王道な考え方だと思うんですが、私も一時期グルテンフリーダイエットを試してみたんですが、水分量の関係でふわっと上手にできなくて。続かなくてやめたんですよ。
その辺りも自分でいい分量を研究したんですか?
野田:
初めはお菓子専用と書いている、手に入りやすい米粉を使っていたんです。
でも、いまいちべちゃっと仕上がるなと思っていたんですね。
あるとき、他の米粉を使っている人の情報に出会って、米粉の中でもお菓子に適している粒子のものがあるということを知って、それを使った時に感動するほど膨らむし、それから自分でも色々試して、米粉の種類や分量を研究し始めました。
中村:
米粉生活で家族も体調が変わったんじゃないですか?
野田:
私自身がお肌が明るくなってきたんです。
お腹もすきづらくなって自然と痩せてきたんですよね。
2人目の産後の時期だったんですが、体重がストンと出産前よりも落とせたり、花粉症もだいぶ改善しました。
アレルギーフリー食で企業のお仕事をされていますが、それまでの経緯を教えてください
中村:
今、お子さんのアレルギーはどんな状態ですか?
野田:
卵は加熱していれば大丈夫になりました。乳製品もある程度食べられるようになりました。日常生活は大丈夫かなという感じです。
昔からアレルギーの子で、悪化する子もいれば、回復する子もいるんですよね。
小さなころから食べるものに気をつけている方が、全体的には改善するように見えたので、アレルギーフリー食につて、今も発信を続けているんです。
中村:
アレルギーフリー食について発信をしていたら、企業からレシピ提供のお話などが入るようになったということですか?
野田:
本当は、おうちで、近所の方のためにお料理ができたらいいなと思ったんですが、全然需要がなかったんですね。
それでも、インスタグラムでレシピを発信していたら、企業さんに目をつけていただいたんです。
当時アレルギーって行っている料理家さんがいなかったんです。
何かあった時に保証できないから怖いと。だからアレルギーと言っていなかったんですよね。
私はそういう知識がなくって、アレルギーの子を助けたいと思っていたから、食物アレルギーの教室って書いていたのが逆に目立ったみたいなんです。
中村:
そこからレシピを提供したり、レッスンを開始したりされたんですね。
野田:
レシピの書き方なんかは、実は企業さんからやりながら教わっていった感じなんです。
食の専門家からミセスコンテストに挑戦!
中村:
アレルギーフリー食研究家のマミさんが、ミセスコンテストに挑戦するんだっていうのが、私にとっては突然のことだったんですが、どういうきっかけだったんですか?
野田:
一番最初のきっかけは、料理の活動を企業さんからもいただいていましたし、個人でも全国を駆け回っていたので、ある程度の知名度はあると思い込んでいたんです。
ただ一歩離れて俯瞰してみたら、まだまだ全然だなと思ったんです。
このまま1人で活動してても、一生このままだなと思った時に、自分の存在もそうですし、アレルギーフリー食をもっと一気に知ってもらいたいと考えた時に、周りの方から、モデルを目指してもよかったのにという声をいただいていたのを思い出して、まずはミセスコンテストに出てみようか!と思い、挑戦を始めました。
自分が美しくなりたいという気持ちより、アレルギーフリー食を広めたくて応募したんです。
たくさんコンテストがあるんですが、地方のコンテストから日本に上がっていく形式のものもあるんですが、それだと遠回りなイメージがあって、私は全国大会に応募しました。
中村:
そのコンテストでファイナリストに残って、昨年50人のファイナリストの中で見事第二位になられたんですよね。当時、会場には行けなかったのですが、オンラインでみてました!本当にドキドキしてました!
1位と2位の人が世界大会に行けるんでしたよね?
野田:
世界大会がエストニアで開催予定だったんですが、コロナで行けなくなってしまって、その1ヶ月後くらいに別の大会にエントリーして、ブルガリアの大会に行きました。
中村:
各国の方達に混じって出場して、その中で3位だったんですよね?
野田:
みなさん会話ぐらいの英語はみんなできる状況だったんです。
私は英語が全くできないのに行って、たまたま中国の出場者の方が英語と日本語ができたので通訳に入ってもらったりもしながら、片言の英語とアプリで交流させていただきました。
私の性格上、せっかく出場したんだから、絶対1位をとりたいと思っていたので、その時は3位が残念だったんです。
あとあと、アジアの方で3位ってすごいといろんな方に言っていただいて、後からじわじわと感動しました。
中村:
ミスコンてどうしても、欧米の方が活躍するイメージがありますよね。そう思ったらすごいことですよね!
野田:
結果を出しても満足できないタイプなんですよね。
つい、もっと上に行きたいと思ってしまうけど、自分を労ってあげようと思います。
中村:
きっと、1位とってもまだまだって思ってしまうかもしれませんね。
野田:
そうかもしれません。その性格が今の活動の行動力になっているのかもしれません。
ミスコン準グランプリを受賞後の変化について教えてください
野田:
発信力が変わりましたね。フォロワーさんも増えました。注目度があがるのか反応のされ方が全然変わりました。
同じ思いを書いても、今はいろんな方からメッセージをもらえたり、応援のメッセージをいただいて、こんなに変わるんだと実感しています。
企業さんからもインスタ経由でお仕事をいただくことが増えました。
中村:
独立当時の、アレルギーの子供たちを助けたいという思いが、ミスコンを通して実現しつつあるという感じですか?
野田:
はい。そんな気がしています。
中村:
別物に見えますけど、地道に活動することで広がってくるんですね!
野田:
昔はアレルギーのお子さんをもったお母さん向けに活動していたので、最初はミスコンに挑戦し始めた時、みんなどう思っているのか正直心配でした。
でも、お母さんたちから、「私たちが実現できないことを実現してくれている」と言っていただいたのが本当に嬉しかったです。
アレルギーフリー食のことをやめるわけではないのですが、新しいステージに挑戦しつつ、また新しいことにもチャレンジしていこうかなと走り出したことです。
中村:
次にチャレンジしたいのはどういうことですか?
野田:
食べること自体は、アレルギーでもそうでなくても共通することだと思うんです。
ミセスコンテストで結果も出せて、自分自身も変わることができたので、そういうところを女性の方たちにも伝えたいです。
ちょうど今年からモデル事務所に入らせていただいて、お子さんのモデルさんにも食について教える機会が増えるんですが、食べながら美しく、健康になっていくことを伝えていきたいなと思っています。
中村:
食っていうところで、今までのことが活きてますよね!
野田:
全然変わらないです。今までの5年間が大事だったなと思っています。
中村:
全く違うことをしているように見えるけど、根本的には一緒ですよね。
野田:
今まではアレルギーフリー食というレシピが広告塔で、自分より前にいたんですけど、今は自分が広告塔で、その後ろにアレルギーフリー食があるという感じです。
中村:
露出する場面が増えれば、また違う形で思いが伝わっていきますよね。
野田:
社会貢献が、少しはできつつあるのかな?
もっと発信して、思いを伝えていきたいと思います。
挑戦したい!でも動けない。そんな方へメッセージをお願いします
野田:
悩んでいる時間はもったいないという思いがあるんです。
動くのも大変だったり怖かったりもすると思うんですが、それもどうなるかわからないから結果を怖がるよりも、まず動いて、結果が出てから落ち込もうと思っています。
中村:
なるほど、動く前に落ち込むって、勝手に結果を想像してるだけですもんね。
経験する方が大事と思っているっていうことですか?
野田:
私自身も心配性なので、不安はいつもあったんです。失敗した経験も自分の力になっていて、動くしかないなと体感しています。
コンテストもまさにそうで、いろんな人からなんでそんなに動けるか聞かれますが、結果を怖がっていないからだと思います。
ライブ配信をしているんですが、動いてもなかなか結果が出ない世界なんです。
でも何か挑戦するこで、そこをしっかりとみてくれている方がいるんです。結果がどうであれ私のプラスになるんです。
頑張ってるところを応援してくれているので。結果だけじゃないなというのを感じています。
中村:
結果に拘りすぎな部分があるかもしれないですね。過程も大事ですよね。
野田:
結果が全ての世界もあると思うんですが、見ている人は見てくれていますし、そこから別の何かが始まるかもしれないので、今いる自分の立ち位置だけが自分の世界ではないというのをぜひ知っていただきたいなと思っています。
中村:
今後の挑戦も本当に楽しみにしています。
輝き続けたい、挑戦したい多くの女性にも、心強いメッセージが伝わったんじゃないかなと思います。
今回は本当にありがとうございました!
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